ニノの日記

二宮尚徳(にのみやひさのり)が思ったことなどを書いています。

農林水産省を退職しました

 

 このたび、6年間勤めてきた農林水産省を退職し、動物を保護する活動を始めることを決めました。

 これからは心の一番奥にある思いにしたがって生きていこうと思います。

 いつかまた振り返るときのため、退職あいさつメールを日記に残しておきます。

 

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【退職の挨拶】

 

皆様

 生産局畜産部食肉鶏卵課の二宮です。

 突然のご報告となってしまい恐縮ですが、僕は明日をもって農林水産省を退職します。

 本来であれば、お世話になった全ての方に直接お礼を申し上げるべきところを、一部の方におかれてはメールでのご挨拶となってしまうことを何卒ご容赦ください。

 退職後は、唐突ですが、動物愛護に関する活動を行っていこうと考えています。

 以下、今の思いと、退職後やろうとしていることについて綴らせていただきました。

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 退職を前にすると、やはり今までの出来事が思い出されます。

 学生の頃、理系の一学生だった私は、かなり世間知らずで、農林水産省がどんな仕事をしているのか実はよくわからないまま、「日本を良くしてやるぜ」という思いと勢いだけで受験しました。

 僕の実家の仏間には軍服姿の青年の写真が飾ってあり、なんとなく、ご先祖様は国のために貢献されたんだな、と思いながら育ったことや、大学時代に初めて行った海外旅行で日本を外から見た経験などによって、知らぬ間に愛国心が醸成されていたようです。

 

 「中央省庁はきっと国をよくするために何かスゴイことをやっているはずだ。自分も国のために自分の人生を使いたい。」

 

 かなり大ざっぱな志で門をたたきました。

 

 運良く入省できましたが、想像に違わぬ忙しさで、入省当時は次から次へと送られてくるメールと、どんどん進んでいく周囲の会話について行くのがやっとでした。

(というか、あまりついて行けませんでした。)

 

 入省当時の平成19年、じわじわと上昇する原油価格と、それに伴い上昇する穀物の国際価格を眺めながら、部内の皆が日本の畜産業への影響を気にする毎日でした。

 高騰した配合飼料価格の畜産への影響を緩和するための対策が検討され、国会での審議を経て措置されました。

 一連の過程を通じ、国の政策がどのように決まっていくのかを(毎日の残業でフラフラになりながら)学びました。

 

 社会人3年目には鹿児島県に出向し、地方行政の仕組みを学びました。

 鹿児島で出会った多くの方とふれあう中で、みなさんの地元への愛情と、地方の暮らしの豊かさを知りました。

 鹿児島県生活2年目の平成22年には、隣の宮崎県で口蹄疫が発生しました。

 口蹄疫ウイルスの鹿児島県への侵入を阻止するため、県境付近の道路で夜通し雨の中車両の消毒を行ったことも今となっては懐かしい思い出です。

 

 2年間の出向任期が終わり、霞ヶ関に戻ることを意識しだしたその年の3月、あの震災が発生しました。

 

 県庁のテレビで、同じ国の離れた場所で、津波が全てを包んでいく様子を、何もできずに見ていました。

 

「一人でも多くの人が助かって欲しい」と願うと同時に「津波が直撃した原発はどうなるのだろうか」、「震災の影響を受けた日本の経済はどうなるのだろうか」など、その先にある未来に恐怖も感じていました。

 

 そして次第に、「ここでやらなきゃいつやるんだ」という強い気持ちがわいてきて、少しでも震災からの復興に貢献したいという思いで東京に戻りました。

 

 震災直後に配属となった水産庁では、原発事故の影響を懸念した諸外国が、日本の水産物の輸入を規制する中、日本からの輸出を再開させるための業務に当たりました。

 毎日のように朝の4時まで仕事をし、帰宅して猫にご飯をあげ、シャワーを浴びて2時間だけ寝て、また出勤する。そんな日々も、気合いで乗り切りました。

 

 1年と4ヶ月の水産庁勤務を経て、現在の職場、畜産部食肉鶏卵課に戻ってまいりました。

  働いていると、とても充実し、長く感じた毎日でしたが、今振り返るとあっという間の6年間だったようにも感じます。

 

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 これまで、仕事に一生懸命取り組んでました。

 仕事には愛着もあるし、待遇面には何ら不満はありません。

 

 しかし、震災や親しい人との別れに触れる中で、「自分の生きる意味」について考える機会が増え、もう一度自分の夢に挑戦したいという気持ちになりました。

 

 

 自分には子どもの頃からの夢がありました。

 僕の夢は、日本のペットの殺処分を無くすことでした。

 現在日本では、飼い主のいない犬や猫が毎年約20万頭、地方自治体の動物愛護センター等(いわゆる”保健所”)で殺処分されています。

 子どもの頃からなんとかしたいと思っていましたが、どうしたらこの問題を解決できるのか全くわかりませんでした。

 

 大学は獣医学科に進学し、動物を助けたいと思いましたが、やはり、どうすればいいかわかりませんでした。

 

 自問自答の末、多くの人がそうするように、自分はその夢を諦めました。

 

 多かれ少なかれ、人間は動物を犠牲にして生きているのだから、そんな幼い考えは捨てよう

 どうせ解決できないのであれば、あえて闇の部分に目を向ける必要はない

 かわいそうだと思うが自分には関係ない

 

 自分はそう考えました。

 そう考えることが、大人としての正しい選択だと思いました。

 

 その一方で、昔から目指していた『動物を助ける』という目標を失い、新しい目標が必要だったので、自分は『人の幸せ』を追求することにしました。

 

 ペットや家畜、実験動物など、動物は様々な形で人の幸せのために命を提供してくれています。

 獣医学科では動物の命によって人の幸せを最大化することを学びました。

 だから、自分は最も人を幸せにする仕事に人生をつかおう。

 

 そう考え、僕は農林水産省に入省しました。

 人間が生きる上で必要不可欠な、畜産物をはじめとする食料を国民に供給する職場です。

(ちなみに、当時メディアにたたかれながらも黙々と仕事をし続ける姿に、あこがれるような気持ちもありました。)

 

 今まで6年間、部署を変えながら、一貫して、少しでも日本という国を良くしたいという気持ちで仕事を頑張ってきました。

 

 今でもその気持ちは変わっていません。

 

 でも、やはり夢を諦めることはできませんでした。

 

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 確かに動物が殺処分されても、自分の生活や日本の経済には何の影響もありません。

 でも、誰にも知られることなく、感情を持った小さな命が淡々と人の手により殺されていく。それは本当にいい国なんだろうか。

 仮に、他のあらゆる社会問題が解決されたとしても、見えないところでそれが行われていく国は、本当にいい国なんだろうか。

 行政に仕事を押し付けて、(本当は殺処分を担当している公務員も動物が好きな獣医師で、辛い思いを押し殺して仕事をしていることを知っているのに)、他人事のように何も考えなくて本当にいいのだろうか。

 公務員として、日本のあるべき姿について考えると、「関係ない」のに、この問題についても考えてしまいました。

 

 考えても仕方がないことはよくわかっているのですが、それでも考えてしまいます。

 

 本当はそれでいいわけがないことを知っているからです。

  

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 日本は総じていい国です。

 豊かな自然に恵まれ、豊かな食文化に恵まれ、誠実で穏やかな国民性があり、経済発展も達成している、自分の中では世界で一番いい国だと思っています。

 そして、もっと日本を良い国にしたいと思います。

 なので、自分は、この問題に挑戦することに決めました。

 この問題を解決することにどんな意味があるのかはわかりませんが、この問題をもし解決することができれば、自分が「生きた意味があった」と言えるような気がします。

 遅かれ早かれこの問題に挑むのであれば早いほうがいいだろうと思い、このたび退職を決意しました。

 やるからには自分の全てをかけて挑みます。

 

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 かつて自分は20万頭という大きな数字に圧倒され、この問題に挑むことを諦めました。

 しかし、農林水産省で6年間働いた今、自分はこの問題は解決できると確信しています。

 おそらく本気で日本のペットの殺処分をなくすとすれば、あらゆる対策を講じなければならないと思いますが、現在自分が一番必要だと感じていることは、

『一般の人が、気軽に動物愛護に参加できる環境づくり』だと考えています。

 

 日本にはたくさんの動物が好きな人がいます。

 当然その中の多くの人がこの問題に強い問題意識をもっています。

 しかし、実際に活動している方はそのうちのごく一部で、その方たちに負担が集中しています。

 結果、活動が苦しいものとなり、一般の人が参加することをためらってしまうなど、負の循環があるように思います。

 

 なので、各分野のプロフェッショナルを含む多くの人の力を少しずつ集め、みんなが負担感なく、気軽に動物愛護に携われる環境をつくることができれば、こうした状況は改善されていくはずです。

 漠然としていますが、そんな仕組みを作りたいと思います。

 

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 一公務員の自分には、経営のノウハウを含め、現時点で色々なことがわかりません。

 でも、これから模索しながらやっていきます。

 走りながら考えます。

 

 失敗するかも知れませんし、笑われるかも知れません。

 でも、自分が一番願っていることに一度も挑戦せず、諦めることだけはしたくありません。

 なので、全てを承知で決めました。

 やると決めて、諦めずにやり続ければ、いつかは叶う、と信じています。

 

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 平成19年の入省後、皆様には大変お世話になりました。

 同じ職場の一員として仕事ができ本当に楽しかったです。

 辞めることを決めておいてなんですが、僕は農林水産省という職場とみなさんが大好きです。

 お世話になり育てていただいた皆様には、最後までこの職場で勤め上げられないことをとても申し訳なく思いますが、別の立場からこの国に貢献することでそのご恩に報いることができればと考えています。

 突然のご報告となり驚かせてしまい申し訳ありませんでした。

 そして長文メールをお読み下さりありがとうございました。

 働く場所は変わりますが、皆さんと出会えたご縁を大切にしたいと思いますので、これからも、末永くどうぞよろしくお願いいたします。

 本当に、今までありがとうございました。

 二宮 尚徳